10年ほど前、読書仲間の友人が1冊の本を貸してくれました。柳家小三治さんがお書きになった『ま・く・ら』という本です。それまで落語を聞いたこともなく、もちろん「まくら」の落語における意味も知らなかった私はさほど興味を惹かれず、しばらく書棚に置いたままにしておいたのですが、ある日カバンに入れ、電車の中で読み始めたとたん、私は自分の不明を強く恥じました……ちょっと、なんて面白いのっ?!
落語の普及に際して、近年多大なる功績があったのはドラマ「タイガー&ドラゴン」ではないでしょうか。クレイジーケンバンド、横山剣さんが歌う主題歌のサビの部分「オレの話を聞けぇ〜〜」という歌詞は、落語がテーマのドラマの趣旨にちゃんと沿っていてうーんうまいなぁと思わせてくれましたが、落語では「話(噺)」の前のいわゆる世間話、イントロのことを、まくらと言います。小三治さんの『ま・く・ら』は、高座で実際に披露された18のまくらを文章に再現した、何度読んでも爆笑してしまう1冊。友人に返した後、書店で改めて購入し、続編の『もひとつま・く・ら』も買ってしまいました。
『ま・く・ら』後、私は何度か寄席に足を運びました。小三治さんをはじめ、若手の柳家花緑さん、柳家喬太郎さん、「タイガー&ドラゴン」にも出演されていた春風亭昇太さんなど、友人に誘われるままいろんな方の高座を聞きに行きましたが、落語は、アナウンサーという仕事に参考になる要素がぎっしり詰まった娯楽でした。声は高低でなく濃度が決め手であること、笑いは間が作り出すものであること……行くたびに彼らが体得した技術に惚れ惚れし、心の中で唸りました。
今年3月、友人の夫の落語家さんが真打昇進を果たし、上野鈴本演芸場で襲名披露興行が開かれました。古今亭菊朗あらため、古今亭菊志ん(ここんてい・きくしん)師匠です。真打というのはいわば肩書き。落語家として一本立ちしたと認められた証拠です。真打になると高座でトリを勤めることができますし、師匠と呼ばれるようになります。ある意味ではゴールであり、ある意味では出発。ここからが勝負とも言える、新たな幕開けです。フレッシュな菊志ん師匠の今回の演題は「小言幸兵衛(こごとこうべえ)」でした。長屋の大家である幸兵衛は、世話好きだけれど何かと小言の多い男。そんな幸兵衛のところに、ある日部屋を貸して欲しいと仕立て屋の男が訪れる。男の礼儀正しさと真
面目さに気を良くする幸兵衛だが、仕立て屋のひとり息子の話を聞いて眉をひそめる。男前で仕事のできる息子だというのに、なぜ幸兵衛は会ったこともないその息子にイチャモンを付けるのか?……という展開の、幸兵衛の理屈っぽさが大変面白いネタなのですが、菊志ん師匠の溌剌とした語り口、メリハリを効かせた演出は観客を大いに笑わせ、新師匠の門出を心から祝わせてくれました。おめでとうという気持ち、これからも笑わせてくださいよという励ましの気持ちを込めた会場全体に鳴り響く拍手が心地良く、こういう場に立ち会えるのは気分のいいものだなぁと素直に思いました。
特別な知識がなくても、勝手を知らなくても楽しめるのが落語のいいところ。未体験の方もぜひ、ふらっと足を運んでみてください。近場では、横浜にぎわい座でほぼ毎週、高座が開かれています。